竹林舎について

1 西川杏太郎先生より


黒沢廣君のこと

西川杏太郎

私は仏教美術史の研究者つまり執筆者として、黒沢廣君は図書出版の編集者として、至文堂刊「日本の美術」シリーズ(文化庁/国立博物館監修)の刊行などで共同作業をした頃のことが今なつかしく想い出されます。
あの頃から黒沢君は、美術書のみならず、日本の古典である源氏物語など文学図書の編集にも興味をもち、力を注いでいたことはよく知っていました。
2002年に独立して竹林舎を創設してからは、さらに東西都市文明など広く文化史にまで企画をひろげ、やがて黒沢君ならではの編集スタイル—―“隣接諸学”という独自のカテゴリを生み出し、その出版に力を注いできました。
当然のことながら、依頼する執筆者との交流も幅を広げ、いまでは隣接諸学との関わりを深く掘り下げる唯一無二の編集者と言えるでしょう。ご健勝をお祈り申し上げます。

(元・奈良国立博物館館長、前・東京文化財研究所長)

 

2 代表のご挨拶


代表取締役 黒沢 廣

平成14年5月創立

美術、文学、歴史に関する書籍を刊行。

 

「日本の美術」(至文堂)は文化庁及び国立博物館、国立文化財研究所監修の下、昭和41年から平成23年まで通巻545号続いた月刊美術誌である。建築、絵画、工芸、書、考古、歴史的遺産等々あらゆる文化遺産を射程にしていた。私がそれに携わり始めたのは昭和43年頃だから、平成13年頃までほぼ30年間に及ぶことになる。最盛期の頃には、何年も先の企画を作り調整しながら、原稿と1冊約120点の写真を集め構成することに没頭していた。年12冊、更に遅延・欠号を防ぐ為の予備に12冊、計24冊は常に抱え込み進行させていた。その多忙は今考えても鳥肌がたつ思いだが、そうした苦難も無駄ではなかったと思える。その後刊行した「(美術の)鑑賞基礎知識シリーズ」(18冊)や「源氏物語の鑑賞基礎知識シリーズ」(43冊)等、約600冊の企画刊行には十分役立ったし、竹林舎を立ち上げてからの研究書は、1冊20名の執筆者で年10冊は刊行していたので、前後年では常に400名以上の先生方と連絡を取り合っていたことになる。こうしたことが出来たのも「日本の美術」の編集作業を経験したことによるもので、今は関係してくださった方々への感謝感謝のみである。この場にて御礼申し上げたい。